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中和新聞セレクト Vol.2
真の父母様の平和思想~地球的危機克服の道

 統一運動の情報から国内外のニュース、各種講座に至るまで、さまざまなコンテンツを毎週2回(火、金)配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
 第2弾は「真の父母様の平和思想~地球的危機克服の道」(ナビゲーター:稲森一郎氏)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
 同コンテンツは『中和新聞』2015年10月~2017年5月に全14回で配信されたシリーズです。

第11回 南北統一はいかにして成されるべきか〈2〉

(中和新聞 2016年12月20日 通巻922号より)

 本シリーズでは、人類が直面する様々な地球的規模の問題にスポットを当てながら、その問題点の本質を解説するとともに、真の父母様(文鮮明先生・韓鶴子先生御夫妻)の平和思想に基づいて確かな方向性を提示します。今回は「南北統一はいかにして成されるべきか」(全3回)の2回目として、韓半島(朝鮮半島)の南北統一問題の本質的解決の道を取り上げます。

▲北朝鮮を訪問し、金日成主席と会談された文鮮明先生ご夫妻(1991年12月6日、北朝鮮・マジョン主席公館)

南北の和解および統一への歴史的経緯

■文鮮明先生ご夫妻の電撃的な北朝鮮訪問

 朝鮮半島の南北関係を見ると、大きな出来事として、1972年7月4日に発表された「南北共同声明」があります。そして1991年12月13日に採択された「南北基本合意書(南北間の和解と不可侵および交流、協力に関する合意書)」、2000年6月13日から15日までの「南北首脳会談」の開催です。

 南北間において、絶えざる不信と軍事的緊張が続く中、以上に挙げた3つの出来事は、南北対話、もしくは南北統一へ向けた双方の考えを擦り合わせる会談を行ったものとして、一定の評価を与えることができます。

 「南北共同声明」(1972年)の背景には、金日成主席(当時)が1972年4月15日、自身の還暦をソウルで祝うと内外に宣言していたこともあり、北の武力南進統一を警戒する韓国は、朴正熙大統領(当時)の強い反共路線の国是のもと、韓米軍事同盟を盤石にして北の南進を食い止めました。

 南の国民の共産主義に対する思想武装は、(故)文鮮明先生が提唱された「勝共理念」の教育が全国民的に実施されたことで、より確固たるものとなり、韓国を防衛する救国運動の大きな柱になりました。共同声明の内容は、「自主、平和、民族大団結の自主的平和統一(外国勢力の干渉を排除)」を謳ったものでした。

 「南北基本合意書」(1991年12月13日)の採択では3つのテーマを掲げ、「南北和解」「南北不可侵」「交流・協力」に関する総計25条の項目におよぶ内容を合意事項に盛り込みました。

 この南北基本合意書の採択の背景には、文先生ご夫妻の電撃的な北朝鮮訪問(1991年11月30日~12月7日)が大きな役割を果たし、「合意書」採択への道を開いたと見ることができます。

 「基本合意書」の内容は、72年の「共同声明」の3大原則(自主、平和、民族大団結)を前提とし、「南北和解(1-8条)、南北不可侵(9-14条)、交流・協力(15-23条)、修正および発効(24-25条)」を合意内容としました。

 「南北首脳会談」(2000年6月13日~15日)および「南北共同宣言」(6月15日)は、韓国の金大中大統領(当時)の「対北宥和政策」(太陽政策)の結実と言えるものでした。南北の首脳が相まみえるという意味で、歴史的会談と騒がれたビッグ・イベントでした。

 共同宣言は、離散家族再会事業の再開、経済協力、社会・文化などの諸分野での協力と交流を謳いましたが、特に、その後の経済協力事業が南北間で活発化し、顕著な動きとなりました。

■「許し」と「愛」で開く「団結(統一)」の道
 南北和解、南北統一に向けた一連の動きの中で特筆されるべき出来事は、何と言っても「国際勝共連合」を創設(1968年)し、国際共産主義勢力(旧ソ連、中共、北朝鮮)との熾烈な戦いを、生死を懸けて主導してこられた文鮮明先生ご夫妻が、自ら北朝鮮へ赴き、金日成主席と会談されたということです。この驚くべき出来事は世界に衝撃を与えました。

 なぜ、「敵の中の敵」とも言える金日成主席に文先生は会いに行かれたのでしょうか。

 民主、共産の両陣営の指導者らも面食らい、理解に苦しむ中、文先生は明確にその理由を1991年12月7日、北京で発表されました。「真の父母様北京到着の談話文」(『平和経』、1252頁)の中で次のように語られています。

 「私は統一教会の創始者として真の愛の精神で北朝鮮に行ってきました。真の愛というのは『愛することができないものまでも愛する精神』です」との言葉が、文先生ご夫妻の北朝鮮訪問の最大の動機であったということです。

 いろいろと歪められた政治的な動機で文先生の北朝鮮訪問を語ることは全く間違っているのです。「『許せ、愛せ、団結せよ!』という私の終生の信条をもって北朝鮮の地を踏みました」(同、1252頁)と語られたように、許しと愛がなければ団結(統一)の道は見えないという真理に基づく行動でした。

■「血は水よりも濃い」から「愛は血よりも濃い」へ
 現在の半島情勢は、南北双方とも、南北統一を論じることも考えることもできないほど混乱した状態であり、南北の相互不信の強さや圧力的な外交政策の応酬合戦などで、統一への道は全く見えません。

 その背後には、中国や米国などの周辺大国の力学が、半島に陰に陽に影響を及ぼしているといった側面もあります。基本的には、北も南も1991年の「南北基本合意書」や2000年の「南北共同宣言」にあるような項目を誠実に履行する精神と努力が必要であると言えます。

 1991年、文先生が北朝鮮を離れる時に語られた言葉があります。

 「私は、最初にここに来たとき、『血は水よりも濃い』ということを強調しました。今、この地を離れるに当たり、民族をつなぐ愛が永遠であることをお祈りいたします。そして、ここを発つに当たって一言申し上げたいのは、『愛は血よりも濃い』ということです」(『平和経』「真の父母様北朝鮮訪問 晩餐の辞」、1251頁)。

 その中で明確なのは、「民族をつなぐ愛」が最終的に統一を決定づける要因であるということです。「愛による統一」しか結論はないというのが、南北統一への答えなのです。

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 次回は、「南北統一はいかにして成されるべきか〈3〉」をお届けします。

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