神様はいつも見ている 2
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第1部 霊界が見えるまで
2. 再び生かされて

 こうなる予兆はあった。
 その危険を知らせるサインを私が見逃していたのだ。

 2018年4月、21日から23日までの3日間、私はどうしても外せない用事があって韓国を訪ねた。

 その頃には体調がかなり悪くなっていた。自覚症状もあった。時間を見つけて病院に行かなければという考えはあったのだ。
 以前にも血管が詰まって心臓が停止したことがあり、また再び心筋梗塞になるのではないかという恐れを抱いていたからだ。

 健康状態が厳しい状況であることは、すでに霊界からも教えられていた。しかし「まだ大丈夫だろう」と過信し、霊界の警告を軽視して行動しなかったのである。

 そのような私の状態は、他人からは丸見えだったのだろう。韓国出張中にふらふらになっていた私を心配した周囲の人々は早く病院に行った方がいいと忠告した。

 私の家族は大阪に住んでいたが、私は家には戻らず、勤務先である教会(世界平和統一家庭連合)のある四国の香川に戻った。私は当時、その地域組織の教区長を務めていたのである。

 高松空港から教会の事務所に戻り、2時間ほどたった後だった。
 鈍い痛みに襲われ、朦朧(もうろう)とし始めた。

 「救急車を呼んで」
 朦朧となりながらも、辛うじて私は事務所にいた婦人に頼んだ。

 救急車が来る前に私は大阪の家に電話をし、「今から救急車で病院に行く」と妻に伝えた。
 「大丈夫なの?」
 「ああ、たぶん」

 救急隊員は各病院に連絡し、受け入れ態勢がある所を確認してそこに向かうのだが、その時もし、循環器系の専門医のいる病院に向かうことができなかったら、私はどうなっていただろうか。

 私の乗せられた救急車は、心臓の専門医が待機していた日赤病院が受け入れに応じてくれた。
 もし、違う病院へ運ばれていたら、たぶん私は死んでいただろう。今から考えてもぞっとする。

 後で知ることになるのだが、担当の医師は私の妻に「病院に来るのが1分遅れていたら死んでいましたよ」と言ったそうだ。

 実際、救急車から担架で病室に運ばれる前に私は心肺停止状態になり、担当医師は一刻を争う事態と判断し、専門医療機器のある無菌室の病室ではなく、その場で緊急手当てをすることを決断した。

 そこから12日間、私は意識が無かったのである。

 大阪から深夜に到着した妻に、医師は「帰らないでください。何が起こるか分からないから」と言った。
 要するに、命の保証はないということだった。

 その後数日、危険な状態だったが、何とか命だけは助かるかもしれないというまでに回復した。
 けれども医師は、「助かっても後遺症が残る可能性が高い」という話をしていた。

 全身に管などをつなげていた私が、苦しい思いから管を自分でむしり取る可能性があったので、全身をベッドにがんじがらめに縛り付けられた。

 意識は戻ったが、その状態はまさに地獄だった。
 今でもなぜ自分が死なずに生き残ることができたのか、それは文字どおり奇跡だったという思いがある。

 実は、死にかけたのは初めてのことではなかった。これが二度目だった。
 一度目も同じ心筋梗塞で、その時も死にかけていたが、どういうわけかさまざまな偶然が重なって助かっている。

 二度あることは三度あるという。考えてみれば、このような生死の境をさまよう体験は、私の父の交通事故から数えてみれば、ちょうど三度目になる。

 私や父がこのような生死にかかわる事故に遭ったり病気になったりするのは、単なる偶然と片付けることはできない。
 なぜならそのことによって、私の人生が激変したことは間違いないからだ。

 私の家は父の交通事故がきっかけとなって、母親に「神」が降りた。そして母は神様の指示によって神道の教会を始めるようになる。その後私の家は、周囲にも神霊というものに生かされた家として知られるようになった。

 父が死の境地から引き戻されて以来、私たちの家族は不思議な運命のいたずらとでも言うべき生涯をたどるようになったのである。

 心筋梗塞で意識不明となった私の入院生活は、4月23日から5月30日までの約40日間にわたった。
 意識を無くしていた時、私はこの世とあの世をさまよっていた。夢を見ていた。
 というよりも、霊界に行っていたのだ。そこでさまざまなことを見聞きしたのである。

(続く)

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 次回は、「私に与えられた使命」をお届けします。