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信仰は火と燃えて 2
青年宣教師との出会い

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「信仰は火と燃えて」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(1916~2003)。同シリーズは、草創期の名古屋や大阪での開拓伝道の証しをはじめ、命を懸けてみ旨の道を歩まれた松本ママの熱き生きざまがつづられた奮戦記です。

松本 道子・著

(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

青年宣教師との出会い
 時は流れ、三人の子供は大きくなり、昼働いて夜学に通い、世の荒波にもまれて強く育っていきました。娘の一人は、英語がうまく頭もいいのですが、韓国人だということが分かると、普通の会社では雇ってくれません。娘は、なぜそんなに差別するのか、昔日本の植民地だったからなのかと、日本を憎み、絶対日本の名前を使わなくなってしまいました。そして、アメリカ関係の会社に勤めるようになったのです。

 私は友人の紹介でポーラ化粧品のセールスマンをやることになりました。そこの責任者は、私をちらっと見て、ああ朝鮮人かと思ったようすでした。ポーラは、10万円ぐらいの化粧品の入った箱を一人一人に預けるわけですから、「ああ朝鮮人にはどうせろくなやつはいない。悪いことばかりしているから、とても10万円のカバンを預けることはできない」、そう思ったのでしょう。

 ところが私の二人の日本の友人は、「この人はクリスチャンで、とてもいい人なんですよ。どうか使ってやってください」と、保証人になって一生懸命頼んでくれたので、しぶしぶ雇ってもらうことができたのです。けれども、最初はとても冷たくされ、私は心中、ヨーシ、今に見ておれ! という思いでした。

 言葉もろくにできない上に、日本人に頭をさげてポーラのセールスをしなければならないということは、内心とてもつらいことでした。けれどもいつも面倒を見てくれた兄でさえ、その時は焼け出されて、どこかへ行ってしまっていたのです。会社では販売競争が始まり、私はカバンをさげながら祈って泣きました。神様は分かりませんでしたが、イエス様の偉大さは分かっていたので「イエス様、あなたは本当にこの地上に来られるんですか」と祈ったのです。

 子供のためだと思いながら、並々ならぬ決意をしてポーラ化粧品の販売をしました。4年間ポーラ化粧品のカバンを持って一生懸命働いたのです。最初はなかなか実績が上がりませんでしたが、必死で努力した結果、ついには一番になりました。支店長が私の顔を見ながら褒めて大事にしてくださり、それからは一流セールスマンとして優遇されるようになりました。つらい4年間でしたが、あとで振り返ってみると、それは神様の訓練でした。10歳のとき、お菓子をもって神様は私を導き、今また化粧品のセールスをさせて、成約時代の最初の開拓者とするために準備されたのでした。

 この間、最もつらく悲しかったことは、息子が韓国に強制送還されたことでした。終戦後、三人の子供を韓国に置いたまま行ったり来たりしているうちに、登録令が敷かれて韓国に行けなくなってしまいました。2、3年後、親しい友人が引揚船をしたてて子供を連れて帰ってきてくれましたが、その時、登録をしなければならないことを知らず、そのまま過ごしていたのです。登録令が敷かれた当時は、兄が私の分も登録をしてくれたし、韓国と日本が違う国になったという意識すらありませんでした。

 それが、10年ぐらいたってから、不法入国だということで三人の子供は日本の警察につかまってしまったのです。私は日本の法務省を相手に、「この子供たちは二世です。韓国語も分からないし、母親のところにいるべきです。日本が韓国を支配していたときは、日本人になれといって名前まで変えさせて、今、日本で生まれた子供を強制送還するとは何ごとですか」と闘いました。その結果、娘二人は何とか取り戻しましたが、息子は強制送還されてしまいました。

 「私たちもみんな韓国へ行こう」と言うと、息子は「来なくてもいい。韓国の言葉が分からなくても、私は男だから大丈夫です。お母さんは、お姉ちゃんたちと一緒におじさんのところにいてください。また日本と韓国が国交回復すれば会うことができます」と反対に私を慰めてくれました。しかしそういう親子の悲しい別れを経験したものですから、神様の愛に対して疑いをもってしまいました。

 子供たちは、私の希望でした。娘が立派な生活をし、いいところにお嫁に行ってくれることを望みました。そして、もう一つの望みは神を探すことでした。

 ところが、私はあまり働き過ぎて、ついに肺に空洞ができる寸前になり、6カ月間、入院して安静にしていなければならないと病院から宣告されました。兄の家の離れを借りて、大きな病院が空くまで養生しながら待っていましたが、日に日に顔はやせ、今にも死にそうな顔になっていきました。

 私は、もう死ぬのか、と思いました。「あの世には天国と地獄があるというが、私はきっと地獄に行くに決まっている。うそ八百を言ってお金をもうけ、神様に対して何もせず、自分のために食べて生きてきた。私のような人間はくずだ」と自分で思いました。しかしまた、心のどこかで、神様、どこにいるんですか、と神様を探しているのでした。死を目の前にしてあれこれ考えると、本当に神経がおかしくなりそうでした。

 あと、2、3日で病院の部屋が空くということになりました。もう教会の鍵(かぎ)を預かる仕事もできないので、ある日、私はその鍵を牧師のところに返しに行きました。1960年の半ば、私が鍵を返しに行ったちょうどそのとき、日本に宣教に来ていた西川勝先生がその牧師のところに来ていたのです。

 「私は結核になりました。入院しなければならないので、この鍵をお返しします」と言うと、牧師は、「松本さん、悲観しなくてもいい。大丈夫だ、神様があなたのような人を見捨てるはずがありません」と言って慰め、一緒に祈ってくれました。そして、「すばらしい宣教師を紹介します」と言って西川勝先生(韓国名、崔奉春)を紹介してくれたのです。

 ちらっと見ると、よれよれのズボンにジャンパーを着て、変な髪型の乞食(こじき)のような青年が立っていました。やせこけて骨と皮だけのようで、顔ははたけができてむけています。私は、宣教師といえば立派なダブルの背広でも着ていると思っていたので、「なんだ貧弱な青年だな」と思いました。そして、型どおりのあいさつのあと、セールスを4年もやったふてぶてしさで「あなたは神様がいると思いますか」と聞いたのです。すると、その青年は下を向いたまま「神様は生きています」と答えました。

 私は驚きました。

 「私は長いことクリスチャンですが、神様を見たことがありません。神様はどこにいるんですか。神様が分からないのが悩みなんです。病気が治ったら神学校に行こうと思っているんです」

 するとその青年は、話してきました。

 「もう神学校に行く時間がありません」

 「どうしてですか」

 「世の終わりが来るんです」

 「えっ、ではイエス様が来られるんですね。でも何百年かあとでしょう」

 「聖書には、時のしるしを見よと書いてあります。今、世の中は道徳はすたれ、人々は戦争の準備をしています。今やボタン戦争が行われようとする時代です。メシヤは、ボタン戦争が済んだあとに来たところで、いったい誰を救うんです」

 「じや、今じゃないですか」

 「そうです」

 「どうして分かるんですか」

 「聖書にそう書いてあります。私は天から啓示を受けました。あなたに納得のいくように話すこともできます」

 確信をもって語られる言葉に感動し、私はすっかりその青年を見直していました。乞食のような格好をしていますが、目は澄んできれいですし、とても純粋な顔をしています。話を聞きながら、これはすばらしい人を見つけた、この人の話を絶対に聴こう、この人について、いろんなことを質問してみようと、私は畑に埋められた宝物を見つけたように喜びに胸を踊らせていました。

▲西川勝宣教師(1961年)

 青年の言う聖書原理というものを早く聞きたくて、翌日、さっそく出かけていきました。西川先生は、私がイエス様の話ばかりするので救世原理から始めました。それを聴いているうちに私はどんどん興奮してくるのです。イエス様の十字架は人間の罪を赦(ゆる)すために神の予定としてあったと思っていたのにそうでなく、イエス様は人間の不信仰によって殺されたのだと、全く違うことを言うので、びっくりしてしまいました。

 もっと驚いたのは、講義をする西川先生の姿でした。目をらんらんと輝かせ、涙を浮かべながら、イエス様の胸のうちを語るのです。顔は興奮してピンク色に紅潮し、汗をだくだく流しながら黒板をたたいて、「アバ父よ、願わくはこの苦杯をとりのぞき給え、四千年の歴史を経てやって来た私が、使命を全うせずに行かなければならない」というクライマックスをすごい迫力で語るのでした。私一人を前にして、大勢の人に語るような真剣な講義に、私は胸が高まり、大きな声で泣きたくなってしまいました。

 年齢も33歳ぐらいですし、もしかしたら、その青年はイエス様の生まれ変わりではないだろうかと思ったほどでした。そして自分がイエス様を十字架につけた人間の一人だということが分かってくると、イエス様が昔の恨みを私に言っているような気がして怖くなってきました。

 そこで、私は勇気を出して「あなたは誰ですか」と質問してみました。すると青年は「私が誰であるか祈ってみなさい」と言うではありませんか。私は何が何だか分からなくなり、早くその場を逃げ出したい思いで帰途に就いたのでした。

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 次回は、「伝道に生きる生活の始まり」をお届けします。


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