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預言 32
大韓航空007便の真実

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金辰明・著

(光言社・小説『預言』より)

32 大韓航空007便の真実

 ゴルバチョフは何も言わずに立ち上がった。

 彼は智敏(ジミン)のすぐ前まで来ると、しばらくの間、頭を深く下げた。

 そして何か指示を出し、それを受けた秘書室長が部屋を出ると、自らに対して告解をするように、低めの声でゆっくりと話し出した。

 「ソビエト連邦の共産党書記長である私、ミハイル・ゴルバチョフは、1983年9月1日午前3時26分、モネロン島上空で起きた大韓航空007便撃墜事件に関して、ソビエト連邦政府を代表して犠牲者の方々に心からお詫(わ)びを申し上げます。また、ソビエト政府の攻撃によって愛する家族、親戚、友人を失った、全世界の関係者の方々と大韓民国政府、そしてそのすべてを代表してここにいる遺族の代表者に、心からお詫びいたします」

 ゴルバチョフは再び深く頭を下げた後、真摯なまなざしを智敏に向けて言った。

 「私個人としては、随分前に、命を落としたすべての方々にお詫びを申し上げたことがありますが、今日はソ連共産党の書記長という立場で、これから遺族の代表に事故の経緯を説明いたします。遺族にとっては、それが何よりも真実味のある謝罪になると思います」

 ゴルバチョフは机の上の地球儀を手に取ると、智敏の前に置いた。

 「大韓航空007便は、もともとアラスカのアンカレッジ空港を離陸した後、カムチャツカ半島の南方、そして日本の本州上空を通過してソウルへと続く、R20航路を利用することになっていました」

 「はい」

 「しかし、この飛行機はアンカレッジ空港を離陸した直後から、予定航路を北側に逸脱してそのまま直進し、やがて、軍事的に非常に敏感な区域であるソビエトのカムチャツカ半島とサハリン島の領空を侵犯したのです」

 「はい」

 「カムチャツカ半島に侵入した時点から迎撃機が追跡していましたが、007便は入り組んだ海岸線を直進してソビエト領空の外に出てしまったため、迎撃機はカムチャツカの基地に帰還しました」

 「はい」

 「しかし、この飛行機はその後もまっすぐに飛行を続けたため、先ほどと同様の地形的な理由から、再びソビエト領空を侵犯しました。こうしてかなり長い時間、軍事的に敏感な地域を飛行し続けたため、最終的に米軍偵察機コブラと誤認され、撃墜されたのです」

 「大韓航空007便はボーイング747機なのに、どうしてRC135輸送機を改造したコブラと誤認したのですか?」

 「暗闇だったので肉眼での識別が困難だったことに加え、1年を通じて民間機は一度も現れたことがない反面、コブラはしょっちゅう現れていた地域だったため、防空当局が誤認したのです。当時、迎撃したスホーイからミサイルを2発発射したパイロットのオシポーヴィチを尋問したところ、彼は民間機の識別灯は点滅していたが、それを無視したと陳述しました」

 智敏は、自分を殺してくれと言ったオシポーヴィチを思い浮かべた。

 「彼は善良な人間に見えました。何とかして大韓航空007便に警告しようとしていたようです。その彼がなぜ、民間機の識別灯が点滅しているのを見ながら、それを無視したのでしょうか?」

 「彼は、民間機の識別灯はコブラの偽装によるものと思った、と陳述しました。当時、コブラがソビエトのレーダーと迎撃機を避けるためにあらゆる偽装を試み、迎撃機のパイロットたちがコブラ・ノイローゼにかかっていたという点に鑑(かんが)みて、調査官はオシポーヴィチがそのように認識しても不思議ではなかったと判断しました」

 「彼がミサイルを発射したのは、上層部の指示のせいではないんですか? 彼自身、最後まで警告しようとしたのに」

 「不幸な偶然の一致が起きてしまったのが問題でした。当時の国防長官ウスチノフは強硬に撃墜命令を出しましたが、オシポーヴィチが司令室の指示に従わず、警告を続けようとしたことは認めます。しかし、彼が自分の機体を大韓航空007便のコックピットの前方ぎりぎりに近づけようとした時、先を行く007便が、突然急上昇してしまったのです。実際にその直前、007便は日本の管制センターと交信して、高度を上げる許可を要請していたのですが、こともあろうにその瞬間、管制の指示が下りたのです。007便が急上昇するのを目の当たりにして、オシポーヴィチは敵機が逃走しようとしているのは間違いないと考え、処罰を恐れて慌てて追いかけた後、すぐにミサイルを発射したのです」

 秘書室長が入ってきて何か報告すると、ゴルバチョフは眉間に深いしわを寄せた。

 続いて二人の軍人が大きな箱を持って入ってきた。その直後に入室したもう一人の人物は、ゴルバチョフに形ばかりの敬礼をすると、部屋の中にいる人々とゴルバチョフにぶしつけな視線を這(は)わせた後、壁際に立った。

 ゴルバチョフはこの将軍の登場に顔を赤くしたが、何とか気持ちを落ち着かせようとしているようだった。

 「中にある記録だけを見せてさしあげてもいいのですが、さらに信頼していただくために、このようにブラックボックスをそのまま持ってきました。説明のため、操縦装置のレプリカも用意しました。こちらは国防省の将軍で、大韓航空007便の機械的な面に関する各種の証拠を守るために、規定上、立ち会うことになっています」

 人々は、ゴルバチョフがなぜ顔を赤くしたのかを理解した。書記長といえども、軍部を掌握できずにいるのだ。階級が下の将軍ですら、書記長に敬意を払っているようには見えなかった。

 「これは大韓航空007便のブラックボックスです」

 “ああ、これが智絢(ジヒョン)の乗っていた飛行機の中にあったのか!”

 智敏は感慨無量の思いで膝をつき、ブラックボックスを抱きしめた。

 ブラックボックスをあたかも人間のように抱き寄せる姿に、ゴルバチョフは悲痛な面持ちになり、視線をほかに移すことができなかった。

 しばらくの間、ブラックボックスを抱きしめていた智敏がやがて静かに立ち上がると、ゴルバチョフは再び口を開いた。

 「大韓航空007便が、ソウルまで自動で連れて行ってくれる慣性航法装置を使わず、アンカレッジ空港からソビエト領空に向かって一直線に飛行した理由は何なのか。その疑問に対する揺るぎない答えが、この中にあります」

 将軍はゴルバチョフが若い智敏に礼を尽くす姿を見て目をつり上げ、疑心に満ちた表情を浮かべたが、ゴルバチョフは気にも留めなかった。彼は操縦装置のレプリカを指しながら言った。

 「これが飛行モードの選択スイッチです」

 スイッチの下段には、「MODE SELECTOR」というアルファベットが鮮明に記されていた。

 矢印の形をしたスイッチは、全部で五つの位置を指し示すことができるようになっていたが、ゴルバチョフはそのうちの2カ所の目盛りを指さした。

 目盛りの横にはその機能を説明するアルファベットが記されていて、一つは「INS」、もう一つは「HEADING」となっていた。

 「この一番左、矢印がほぼ水平になった時が『INS』、つまり慣性航法飛行の位置です。ここにこの矢印を合わせれば、飛行機は自動でソウルに向かいます。しかし、我々が海の中からブラックボックスを捜し出して調査した結果、この矢印が『INS』ではなく、その上の『HEADING』を指していたことが分かりました」

 「この『HEADING』とは、どんな機能なんですか?」

 「これは自動ではなく、手動で方位角をセットするものです。スイッチをこの『HEADING』に合わせると、ほら、この横を見てください」

 ゴルバチョフは横のダイヤルを示した。

 金庫のダイヤルのようなものに、360度の目盛りが付いていて、そのうちの1カ所につまみを合わせるようになっていた。

 「このダイヤルは方位角を調節するもので、飛行機はダイヤルに示された角度に従って方向を定め、進んで行きます。ここの数字を見てください」

 ゴルバチョフはダイヤルの上の表示板を指さした。

 そこには245という数字が表示されていた。

 「海から引き揚げたブラックボックスの中に記録されていた角度です。つまり、大韓航空007便はアンカレッジを離陸した後、慣性航法装置に切り替えられることなく、方位角を245度に合わせたまま、飛び続けたことになります」

 「まさか! どうしてそんなことが……」

 「我々はフライトシミュレーションを通して、007便の利用したアンカレッジの滑走路から、模擬機を離陸させてみました。その際、方位角を245と入力し、どのような飛行軌道を描くかを確認しました。その結果、当時007便が飛行したのと全く同じ軌跡になったのです」

 智敏は深くため息をついた。

 スイッチの切り替え一つが、大韓航空007便の命運を分けたのだ。

 「『INS』の目盛りに矢印を合わせなければならないところを、パイロットたちは誤って『HEADING』のままにしたのです」

 「妹の養父は、007便が整備にかなりの時間をかけていて、その時に誰かが機械をいじったのではないかという強い疑惑を抱いていました」

 「我々は専門家を大勢動員して、この装置に何か仕掛けがされていなかったか、通常では見られない部品がセットされていなかったかなどを念入りに調査しましたが、不審な点は何もありませんでした」

 「それでは、この事故は単純なミスに起因するものということですか?」

 ゴルバチョフは静かにうなずいた。

 彼は茫然(ぼうぜん)自失した智敏を黙って見つめ、決まり悪そうに視線を窓の外に向けて言った。

 「我々は徹底的に調査を行いましたが、陰謀を思わせるような不審な痕跡を一切発見できませんでした。しかし……」

 「……」

 「大韓航空007便がソビエト領空に入っていくのをレーダーで目撃しながらも、それを007便のパイロットに知らせなかった者がアメリカにいた、ということは推察しています」

 ゴルバチョフの言葉が終わってからも、室内にはしばらく沈黙が続いた。

 この沈黙を破ったのは智敏だった。

 彼は我知らず立ち上がり、ゴルバチョフに手を差し出していた。智敏の胸の中の深い所で静かな感動が生まれ、徐々に体中に広がっていった。

 長い間、心を覆っていた暗雲は、もはやきれいさっぱりと消えていた。

 「書記長、俺の復讐(ふくしゅう)は、今この瞬間、成し遂げられました」

 「ソビエト共産党の書記長として、韓国の国民に謝罪する機会を頂き、感謝しています」

 二人の対話を静かに見守っていた文(ムン)総裁が立ち上がって、ゴルバチョフと握手を交わし、固く抱擁し合った。

 智敏は、韓(ハン)女史が口元に穏やかな笑みをたたえて自分を見つめていることに気づき、深く頭を下げた。

 以前、彼女は本当の復讐とは何かを語ったが、智敏は決してその意味を理解しようとしなかった。

 「アメリカに連れて行く3,000名の『ゴルビーの軍隊』の中で、真っ先に連れて行くべき人間を指名してもよろしいでしょうか?」

 ゴルバチョフが明るい声で文総裁に問いかけた。

 「もちろんです」

 「現在、ルビャンカにいるのですが、安全は確保してあります。名前はソフィア・アレクセーエヴナ」

 ゴルバチョフは視線を智敏へと向けた。

 「お知り合いですか?」

 ゴルバチョフに見送られて執務室を出た智敏の目に涙が浮かび、雫(しずく)となって流れ落ちた。

 バスに乗り、青い空を見上げた智敏は、涙をぬぐって口元に笑みを浮かべた。

 「智絢! ようやく復讐を果たせたよ」

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 次回(10月5日)は、「幼い天使との出会い」をお届けします。


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