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統一原理Q&A 4
三対象の愛について

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「統一原理Q&A」を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
 統一原理に対する著者の分かりやすい解説がコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。

白井康友・著

(光言社・刊『統一原理Q&A み言による神の心情の再発見』より)

Q:神の愛は、父母の愛(第一対象の愛)、夫婦の愛(第二対象の愛)、子女の愛(第三対象の愛)の三つの愛を総合した、「三対象の愛の主体的な愛」であると『原理講論』に定義されていますが、さらに詳しく説明してください。


A:今までは、神の愛といっても漠然としたものでしたが、『統一原理』においては、ちょうど白色光である太陽の光がプリズムを通すと七色の光として現れるように、神の愛は家庭的四位基台を通して、子女の愛、夫婦の愛、父母の愛という、三対象の愛として現れてくると明解に解かれています。

 まず、神を中心として、アダムを対象の立場に立てた場合アダムがどのように神の愛を受けていくかという点から見ると、父母の愛とは、神の第一対象であるアダムが最初に神(父母)から受けた時に感じる愛ですから第一対象の愛となり、次にアダムはエバと結婚し、神の第二対象であるエバを通して夫婦の愛を感じていくので夫婦の愛が第二対象の愛となり、さらにアダムは子女を得て、神の第三対象である子女を通して子女の愛を感じていくので、子女の愛が第三対象の愛となります。(図1参照)

 ところが、アダムを主体の立場に立て、アダムが対象に愛を授けながら、愛を体恤(たいじゅつ)し、どのように成長していくかという点から見ていくと、先ほどの説明とは順序が逆になります。

 まずアダムは、子女として父母なる神を愛していく中で子女の愛を体恤し、次に夫婦として妻のエバを愛していく中で夫婦の愛を体恤し、子女を生んでからは、父母として子女を愛しながら父母の愛を体恤していきます。(図2参照)

 さて神の愛とは、三対象の愛を体恤する中で到達していくものなので、その一つひとつの内容を具体的に検討してみましょう。

 まず第一に、子女の愛とは、父母と子女という親子の愛の関係を確立することです。人類始祖のアダム家庭における家庭的四位基台の内容を考えてみると、神は祖父母の立場に立ち、アダムとエバは父母の立場、子女は孫の立場に立つので、理想家庭は祖父母・父母・子女(孫)の三代が共に住む家庭であるといわれています。

 最近の子供は両親を馬鹿にして侍る姿勢がなっていない、とよく指摘されますが、それは多分に父母の姿勢に原因があると言わざるを得ません。常日ごろから父母が祖父母に尽くし侍る生活をしていれば、子供は自然と父母を通して侍る姿勢の尊さと素晴らしさを学び、家庭においての縦的愛の基準が確立されていくからです。

 このような子女の愛(第一祝福)の完成基盤があってこそ、夫婦の愛(第二祝福)へと出発できるのです。

 第二に夫婦の愛とは、「夫にとって妻は、すべての女性の中からたった一人選ばれた代表である。それゆえ、夫は妻を愛することを通してすべての女性を愛するのである」(「地上天国と理想家庭」197712)と文先生が語っておられるごとく、夫婦はそれぞれお互いを人類の半分の代表として見つめ合い、さらに主体と対象から構成されている宇宙の半分の代表、そして神の半分としての神の一性を代表した立場であることを自覚し、尊敬しつつ愛し合っていく世界です。このようにして、夫婦が一体となった姿は、人類の統一の基盤、宇宙の完成を意味し、正に本陽性と本陰性の調和体としての神の顕現を意味しています。

 第三に父母の愛とは、ただ自分の子供を愛するという次元でなく、親の心情に立って多くの人々を我が子のように包括していく愛です。その父母の愛を深めていくと、人類を我が子女として愛しておられる父母なる神の心情に到達していくのです。こうして子女の愛、夫婦の愛、父母の愛として現される三対象の愛の主体的な愛(原因的な愛)が神の愛ということになります。

 ゆえに神の愛とは、瞬間的に分かるものというよりは、家庭的四位基台を基盤として、一生涯をかけて体恤していくものであり、人生とは神の愛に到達し、一致していくためのプロセスであると言えます。

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 次回は、「人間始祖の堕落が長成期完成級である理由」をお届けします。