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日本を愛した文先生の足跡(11)
高松

(光言社『グラフ新天地』395号[2001年6月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)
 

 8月24日に迎えた文鮮明総裁聖和9周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」(全15回)を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。

「新しい国連が必要なんだね」

 1965年23日午後10時、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生ご一行、西川勝先生、久保木修己会長は高松教会に到着されました。当時、教会は古びた一戸建ての家でしたが、四国全体から集まってきた教会員が、隅々まで清掃し、待っていました。

▲集まった教会員たちと共に。後列左から3人目が文鮮明先生(以下、写真はいずれも1965年2月4日)

 文先生は到着後すぐに、これからの世界的な摂理について語られました。「過去の人のできなかった、より以上の蕩減を克服してこそ勝利することができるのである」。「何か質問は?」。すると長野昭秀さん(777組)が「国連は使命を果たすことができるのですか?」と尋ねました。文先生は「新しい国連が必要なんだね」と答えられました。

 文先生が高松の教会に来られたとき、ある壮年のかたが教会を訪ねてきました。そのかたは統一教会の青年たちを評して「美人で田に舞い降りた鶴のようだ」と言うのでした。

 文先生ご一行は、深夜12時を回り、午前1時に「月光」という旅館に向かわれました。

 4日、朝食を取りながら、文先生を囲んでの和動会、質問会が始まりました。質問は具体的な問題にまで発展し、文先生はその一つ一つに丁ねいに答えられました。その後、「天恵仰慕する高松の鶴 勇飛天高統一勇士に似る」と揮毫(きごう)してくださいました。

▲揮毫される文先生

▲文先生が下さった揮毫

命懸けで聖地を決定

 それから屋島山に向かい、瀬戸内海を一望できる屋島山頂の雑木林の一角に聖地を定められました。文先生の背広には木の葉がたくさんついていました。

▲屋島山頂の雑木林の一角に聖地を決定される文先生

 聖地を決定する際、西川先生は文先生を景色のよい所に案内されようとしましたが、文先生は非常に怒られたのです。「先生は景色を見に来たと思うのか」。その言葉を聞いて、文先生は命懸けで聖地を決定するために来られたことが分かりました。東西南北の4か所に人が立ち、聖別と祈祷によって聖地が決定されました。

▲聖地決定の時に使われた聖塩と聖塩入れ(石井トミ子さん提供)

 続いて文先生ご一行は香川県庁に向かわれ、その後、3時半発のフェリーで広島に向かわれました。

▲高松教会から出てこられる文先生

▲車に乗り込まれる文先生

(参考/「成約新聞」196535日特集号、「ファミリー」 19864月号、「ファミリー」 199710月号)