(『祝福家庭』73号)
【第1祝福】「個性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「真の人間」に関するみ言(3)

 いくら神様でも、一人では寂しいのです。人間はお金がなければ寂しく、知識がなければ寂しく、権力がなければ寂しく思うのですが、神様はお金を必要とせず、知識も必要とせず、権力も必要としません。創造主だからです。
 神様に一番必要なものは何かが問題です。神様のことを何と言いますか。神様は愛の王であられ、愛の主人であられます。もし愛の王であられ、新郎であられる方が神様であれば、相対者である王妃が必要だというのは絶対的原理です。それでは、「絶対的な神様の愛の相対になる方とはどなたでしょうか」と尋ねれば、どのように答えますか。それは、真の人間であるというのです。
(『平和経』528-529頁)


 神様は明らかに存在します。真の人間とは神様に似た人のことです。そのような真の人間が暮らす世界を実現しようとすれば、人間革命ではなく、人格革命を起こさなければなりません。神様の神格に似ることが人格革命です。神格と同等になり得る基準まで至るようにするのが人格革命です。神様は、知識も、お金も、権力も必要ありません。
(同 786頁)


 いつ、どこで、いかなる状況に置かれても、私たちの体は、絶対対象の立場で心と完全に一つになって動かなければならないというのが、天が下さった法度です。したがって、このように心と体が完全に一つになった人間こそ、完成人間になるのです。神様が本来願われた人間の姿が、まさしくこのような真の人間でした。
 神様を実体の父として侍り、苦楽を共にできる人間が、正にそのような真の人です。しかし、私たちの生活を少し深く調べてみただけでも、私たちは自らの姿がこのような真の人間の姿からどれほどかけ離れているかをすぐに感じることができるのです。
(同 1086頁)