コラム・週刊Blessed Life 180
さあ、パラリンピック開催の責任を果たそう!

新海 一朗(コラムニスト)

 パラリンピックの起源は、1948年、ルードヴィッヒ・グッドマン博士の提唱によってロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内で開かれたアーチェリーの競技会です。
 第二次世界大戦で主に脊椎を損傷した兵士たちのリハビリの一環として行われたこの大会は回を重ね、1952年に国際大会になりました。

 さらに1960年のローマ大会からはオリンピック開催国で、1988年のソウル大会からはオリンピックの直後に同じ場所で開催されるようになります。
 当初は、リハビリテーションのためのスポーツだったパラリンピックですが、現在ではアスリートによる競技スポーツへと発展しています。
 出場者も「車いす使用者」から対象が広がるなど、まさに、もう一つのオリンピックとしてのパラリンピックの地歩を確立しました。

 東京2020オリンピック競技大会が終わり、残された大会が東京2020パラリンピック競技大会です。その開会式が8月24日、閉会式が9月5日、この間、13日間のパラリンピック競技の熱戦が繰り広げられ、もう一つのオリンピックであるパラリンピックが完了すると、二つのオリンピックの全完了となり、東京五輪は終了します。

 振り返ってみると、東京オリンピックに対する海外メディアの反応は、当然のことながら、シビアな論調が多いのは仕方のないことと思います。それは主に、経営面について言われることであり、全ての競技が「無観客」で行われることの無意味さですが、それは新型コロナの感染を防ぐ対策上の措置であることを思えば、致し方ありません。

 ウォール・ストリート・ジャーナルが、東京オリンピックは新型コロナを封じ込め、オリンピック自体が感染拡大を招いたという形跡は見当たらないと報じたことは、確かな指摘です。

 8月8日の閉会式の後に現れたSNS上の多くのコメントが、「東京オリンピックありがとう」という選手たちの感動の声が上がっていたことや、選手村での快適な生活は本当に楽しかったという選手村のおもてなしの素晴らしさを称賛する選手たちおよび記者たちの声が多くSNSを賑わしていたことが印象的です。

 無観客で行われた寂しい競技であったはずですが、意外にも、選手たちは熱心に戦いました。メダルへの道を戦い抜き、選手村に帰るとおいしい食事に癒やされ、楽しい日本の思い出を選手村でたくさんつくっていたので、寂しいオリンピックの印象は消されてしまったようです。

 結局、やって良かったという選手自身の思い、よくやってくれたという選手の感謝の気持ちが非常に大きいと言わざるを得ません。オリンピックは何よりも選手自身のためにあるものだからです。

 パラリンピックの選手たちも全く同じ思いでしょう。ただひたすら競技を行うこと,そのことに全てを懸けて大会に臨んでいるのです。

 パラリンピック選手たちの素晴らしい競技が見られることを期待します。スポーツを通して世界平和への貢献を果たすのがオリンピックであり、パラリンピックであるのは言うまでもありません。

 東京2020オリンピックは、現在、分断と葛藤に中にある世界に対して、和合と連帯の道を示しました。パラリンピックもまた、人類和合の正道を提示することでしょう。