(『祝福家庭』72号)
【第3祝福】「万物主管」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第3祝福】
「万物主管」に関するみ言(1)

 皆さんが着る服や一つ一つの必需品までも万物の一部分なので、自分が使っている日常生活のすべての必需品を、自分の生活の限界圏内にとどまっている万物として扱ってはいけません。すべてのものを、被造世界の万物を縮小させた直接的な相対物として扱い、その価値を世界的なものとして評価する生活をしなければならないのです。
 そうして自身の生活自体が一つの生きた祭物の表示になるようにし、その祭物となった環境を中心として、いつでも神様が臨在なさることができるという信念をもって生活しなければ、万物主管のための真なる家庭的基盤ができません。
(天一国経典『天聖経』第6篇・第3章・第2節・11)


 皆さんは、万物を公的に管理できる人にならなければなりません。御飯を食べるときは、その御飯の価値を知って食べなければなりません。
 「お前は、どんな人の口に入ることを願うのか。お前は、どんな顔をもった人の口に入って骨となり、肉となり、エネルギーとなり、善の世界のために何を残したいと思うのか」と考えながら御飯を食べなければならないというのです。御飯がおなかに入るのは同じですが、たった一つの御飯粒でも、善の人に入っていくことを願うのです。より公的なものを願うというのです。
(同 第6篇・第3章・第3節・5)


 公的な物は恐ろしいのです。公的な物が個人の命を奪うこともあります。近頃は、都市の空気を汚染しないようにしようと言いますが、当然そのようにしなければならないのです。きれいにしなければ侵犯されます。また水もきれいにしなければなりません。このように、万物はすべて公的なものなのです。
(同 第6篇・第3章・第3節・6)