愛の知恵袋 8
許すということ

(APTF『真の家庭』より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

“おかゆ”戦争
 「ああ、ほんとうのおかゆが食べたい」……それが佐代おばあさんの口癖でした。長い間寝たきりの彼女は、近所の老人友達が訪ねてくるたびに、そう言って嘆きました。嫁の昌子さんに何度頼んでも、「私は家事も育児もあるし仕事もしているんですから、そんな時間はありません」と言って、取り合ってくれないのです。

 同居して間もない頃、昌子さんは家事のことで佐代さんから叱られました。昌子さんも意見を言いましたが、気丈な佐代さんには通じませんでした。やがて、昌子さんは義母を避けるように仕事に出るようになり、会話も少なくなりました。その後、佐代さんが75歳になって倒れ、寝ついた状態になったのです。毎朝、昌子さんは家族のご飯を炊いて、そのご飯を小鍋にとって水を足して煮たおかゆを出します。佐代さんは「本当のおかゆを炊いてちょうだい」と言いましたが、「これはおかゆです!」といって無視されました。佐代さんはお米から炊いたとろみのあるおかゆが食べたかったのです。それから10年間、佐代さんが 85歳で亡くなるまで、この「おかゆ戦争」は続きました。

心に棲む鬼
 「私は罪深いことをしてきました。私の中に鬼が棲んでいたんでしょうか」と言って、昌子さんが相談してこられたのは、佐代さんの四十九日の法要が終わった後でした。佐代さんが亡くなる前日、昌子さんの顔をじっと見て、「あんたは……人間じゃない……」と言われた言葉が心に焼き付いて離れないというのです。

 「自分が辛い思いをしているとき、理解するどころか、冷たい仕打ちをされてきたという恨みがありました。特に、次男を身ごもってつわりがひどくて寝ていたとき、『最近の女は、根性が無いね』と吐き捨てるように言われた一言が、どうしても許せなかった」といいます。

 私達がある人を「どうしても愛せない」という時、その原因をたどってみると、たいがいは、以前その人から心を傷つけられたことがあるのです。「許せない」という感情があるので愛せないのです。

 私達は傷つけられると「恨み」が残ります。相手がその償いをしてくれない限り「許せない」という感情がつきまとい、「しっぺ返しをしたい」という衝動に駆られます。誰の中にも宿る「復讐心」という鬼です。そして、何らかの形で相手にしっぺ返しをして自分の溜飲を下げますが、今度は相手がこちらに「許せない」という感情をもって、新たなしっぺ返しをしてきます。こうして、復讐が繰り返されて、ついには顔も見たくないという関係になってしまいます。

 この構図は、実は夫婦の間にも起こりやすく、破綻してゆく夫婦のほとんどがこの図式にはまっていきます。

ならぬ堪忍、するが堪忍
 この心理は夫婦や嫁姑の間だけでなく、全ての人間関係に起きます。従って、この問題を乗り越えるすべを身につけておけば、人生のあらゆる局面で良い人間関係を築いて幸せをつかむことが出来ます。反対に、この感情を克服できなければ、一生、人間関係において失敗を繰り返すことになるでしょう。とはいえ、頭では分かっていても、現実にこの感情を昇華させるのは、至難の業です。

 その克服の秘訣を、仏教的に言えば、「ならぬ堪忍、するが堪忍」です。一般的には、「我慢できないことを我慢するのが本当の忍耐である、広い心で許しなさい」という意味で使われています。仏教ではこの世を「娑婆」と呼びますが、梵語の「サバー」の音写で、訳せば「忍土」。この世はあらゆる四苦八苦を堪え忍ばなければならない世界であり、そこを生き抜いて行くのが修行であり、その際、人間としての成長をするために必要な心構えが「ならぬ堪忍、するが堪忍」であるというのです。

 イエスの教えは、さらにもう一歩踏み込んでいます。ペテロが「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか?」と訊いたとき、イエスは「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい」と答えました。「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか」「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」。つまり、忍耐するにとどまらず、「その恩讐を許し、さらに愛しなさい」と言われるのです。

 真の愛とは、「愛し難い者を愛する」ことであり、その為にはまず「許し難い者を許す」ことが出来なければなりません。それが出来るようになった人こそ、人格において成熟した人と言うことが出来るのでしょう。

(文中人名は仮名)