日本人のこころ 47
山本七平―『日本人とユダヤ人』『日本資本主義の精神』

(APTF『真の家庭』268号[2021年2月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

水と安全はタダ?
 山本七平(192191)とは生前、仕事の関係で何度か話したことがあります。一番覚えているのは、山本が青山学院の中学生か高校生の時、教会の合宿で江戸時代末期の国学についての講義があり、キリスト教の神学に感動した平田篤胤が、それに沿って神道を再構成したことを知り、自分も文筆でキリスト教を伝道するようになりたいと思った、という話です。つまり、山本の幅広い評論活動の基本には、日本人にキリスト教を伝えたいという強い思い、信仰があったのです。もっとも、日本人を知るには何を読んだらいいか聞くと、それは『論語』でしょうとの答えで、知識を公正に伝える方でした。

 1956年に、世田谷区の自宅で聖書学が専門の出版社・山本書店を創業した山本を一躍有名にしたのが、70年刊行のイザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』です。当初、山本は訳者で著者ではないとしていましたが、後に認めています。

 真相は、2人のユダヤ人と日本でなぜキリスト教が広まらないのか議論したのが、本書が生まれるきっかけになったようです。内容の多くは日本人とユダヤ人との比較で、後に山本の持論になる日本教徒という言葉も出てきます。

 冒頭に紹介されるのは、ニューヨークの高級なアストリア・ホテルに住んでいるユダヤ人家族の話です。貿易の仕事で時々使っている日本人のK氏が、高価なホテル住まいなのに、身なりや暮らしは質素なのが不思議になり、「どうしてホテルに住んでいるのか」尋ねます。それに対する答えが、「ここは安全ですから」で、K氏はしばらくそれが理解できませんでした。そこからよく知られる「日本人は水と安全はタダだと思っている」という言葉が生まれます。

 日本人も水道代は払っているので、水はタダではありませんが、イスラエルへ行くとその意味が分かります。国土の大半は砂漠気候で、農耕にもドリップ式のホースが張り巡らされていました。野菜はヨーロッパに輸出するほど栽培されていたのですが、日本では考えられないほど水を大切に扱っていました。

 安全については安保タダ乗り論がありますが、在日米軍に対してはいわゆる思いやり予算を付けていますので、正確には日本は応分の負担をしています。もっとも、自衛隊を含め防衛に関して、多くの日本人が他人事のように思っているのは事実です。海外を旅して感じる日本との大きな違いの一つが、軍人に対する敬意の差です。国と国民を守るために命を懸けているのが軍人なので、もっと尊敬して当然です。というより、そういう気持ちが国民にないと、軍人も命を懸ける甲斐がないのではないでしょうか。シビリアンコントロールにもかかわる重大な問題です。

▲山本七平(左)と家族(ウィキペディアより)

日本教の中心は人間
 日本教については、「日本人は(祖国喪失という)不幸に遭ってないから、日本教徒などという自覚は全くもっていないし、日本教などという宗教が存在するとも思っていない。その必要がないからである。しかし日本教という宗教は存在する。これは世界で最も強固な宗教である。というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗さすことが可能だなどと考える人間がいたら、まさに正気の沙汰ではない」と述べています。そして、日本教の『創世記』に当たるものだとして、夏目漱石の『草枕』の冒頭を紹介しています。

 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう」

 ユダヤ人との比較でいえば、ディアスポラ(民族離散)した民をつなぎとめるには、強烈な神との約束が必要だったのですが、それほどの悲劇に襲われなかった日本人には、人間関係のほうが重要で、「和」を重んじるようになったということです。同じ神にしても、日本の神は人に近く、人から神になった例も数多くあります。もっとも、1977年に出した『「空気」の研究』(文藝春秋)のように、コロナ禍で見られる同調圧力は、日本的集団主義の負の側面なので、気をつける必要があります。

 私が山本の大きな功績だと思うのは『日本資本主義の精神』(PHP文庫)などで、江戸時代初期に職業信仰論を唱えた曹洞宗の禅僧・鈴木正三(しょうさん)や石門心学の石田梅岩を高く評価したことです。仏教や儒教の教えを人間関係の教えとして日本人に合うよう読み直し、かつ実践論を説いたもので、明治の近代化の基礎を築いた思想です。

 鈴木正三は徳川家康恩顧の三河武士で、関ヶ原の戦いや大坂の陣で武功を立てながら、武士であることに行き詰まりを感じて出家し、島原の乱後、天草の代官になった弟の鈴木重成に招かれ、農民の心の復興に尽力しました。その経験から、正三は寺を今の市民課のように活用することを思いつき、それが家光の時代に政策化され檀家制度となります。

 石田梅岩は丹波から京都の商家に丁稚に入り、商人道とも言える教えを探究、45歳で私塾を開くと、多くの人が学ぶようになります。面白いのは、弟子が江戸で開いた塾には武士も学びに来るようになり、広く人々の実践倫理として普及したことです。倹約の奨励や富の蓄積を天命の実現と見る考えは、アメリカの社会学者ロバート・ベラーがカルヴァン主義の日本版と評価しています。今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一が生まれる背景が作られたのです。

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