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預言 1
夜間飛行

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「小説『預言』」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

 1983年9月1日、大韓航空機007便がソ連の戦闘機によって撃墜された。その事件で妹を失った崔智敏は、ソ連への復讐に燃えて立ち上がる。アメリカに渡り、ソ連に入る機会をうかがう智敏。しかし、スパイ容疑で逮捕され、ダンベリー刑務所に入れられてしまう。そこで出会ったもう一人の韓国人。彼はソ連の絶頂期にあって、驚くべき宣言をした。韓国、アメリカ、南米、ヨーロッパ、ソ連……。世界を巡りながら、智敏が目にした歴史の真実とは?

 本書は韓国のベストセラー作家である金辰明氏が、真の父母様が立てられた世界的功績に感銘を受け、執筆した小説の日本語翻訳版です。

金辰明・著

(光言社・小説『預言』より)

1 夜間飛行

 「基地長、レーダー室へ!」

 緊迫した声が返答を待ち切れず、再びその場に鳴り響いた。
 「基地長、非常事態です。早くレーダー室へ!」

 アリューシャン列島の外れにある無人島の小さなレーダー基地、ポスト・グッドウィルのスピーカーは、わずか一分にも満たない間に、過去数年間、ただの一度も使用されたことのない「非常」という言葉を六、七回もがなり立てた。

 軍靴の音とともに、慌ただしくレーダー室に入ってきた基地長イートン大尉の視線は、本能的に二人のレーダー兵を通りすぎ、彼らの監視する巨大モニターへと向かった。

 壁一面に広がる大型モニターの画面上には白い点が一つ、はっきりと点滅していた。

 「イーグル・アイか?」

 イーグル・アイとは、北太平洋地域、正確にはソ連内陸のミサイル基地を監視し、防空網をテストする任務に当たる、アメリカ空軍の大型偵察機コブラの別名である。

 任務の性格上、ソ連領空を侵犯することが頻繁にあり、ポスト・グッドウィルでは最高の注意力でイーグル・アイの飛行を注視しなければならない。常にソ連の迎撃機と衝突する可能性があり、そうした有事に備えることが最前線レーダー基地、グッドウィルの最重要任務だった。

 次の瞬間、イートン大尉は今日のイーグル・アイが既に任務を終えていて、追加の飛行計画の情報を受けていない事実に思い至った。

 危険極まりないこの偵察機は、飛行計画が立てられると、必ず事前にポスト・グッドウィルに通知されることになっていた。大尉は眉間にしわを寄せ、モニターの隅に表示されている数字に目をやった。

 時刻は午前〇時二十五分。正体不明の航空機は、カムチャツカのソ連領空を今にも侵犯するところだった。
 「イーグル・アイではないとすると、あれは一体何なんだ? まさか俺はソ連の奴(やつ)らが乗ったスホーイやミグのために呼ばれたんじゃないだろうな?」
 イートン大尉は咎(とが)めるように二人のレーダー兵に鋭い視線を送った。

 古参のレーダー兵が確信に満ちた声を上げた。

 「決して奴らではありません。我々のレーダーに入ってきたのは四十五分前ですが、軌跡と速度から計算すると、あの飛行体はアラスカ方向から飛んで来たことになります」

 「アラスカ! ならば本当に味方なのか? しかし今日はこれ以上、どの米軍機も飛ぶという話はなかったぞ!」

 ポスト・グッドウィルのレーダーが監視している地域は、ソ連領空と隣接する非常に敏感な軍事地域であったため、イーグル・アイだけでなく、この区域を飛行するすべての米軍機が例外なく、事前に飛行計画書を提出しなければならなかった。

 しかもポスト・グッドウィルのレーダー基地が設けられて以来、イーグル・アイ以外の軍用機が飛んで来る頻度は、多くても一年に一、二回にすぎなかったため、この飛行体の出現を目の当たりにし、イートン大尉と二人のレーダー兵は狼狽(ろうばい)の色を隠せなかった。

 「もしあれが米軍機なら、お前の言うとおりアラスカから飛んで来たってことになるが……」
 アリューシャン列島のどの島にも長い滑走路はない。飛行機が東から飛んで来てグッドウィルのレーダーに捕捉されたとすれば、それは必ず本土かアラスカ上空を通過してきたはずだった。

 「あの長距離を飛んでこの区域まで来たのなら、戦闘機であるはずはないし、イーグル・アイでもない? それなら輸送機か? しかし、輸送機がなぜこっちに来るんだ?」

 古参レーダー兵が同意を求めるような表情で、イートン大尉の目を見つめながら低い声で告げた。

 「爆撃機かもしれません」

 レーダー兵がふとつぶやいた爆撃機という重い単語が大尉の耳に届いた瞬間、彼の頭の中を恐ろしい想像が駆け巡った。

 「まさか!」

 イートン大尉は首を強く横に振った。

 「そんなはずはない!」

 大尉の脳裏を稲妻のようによぎったのはB52戦略爆撃機であった。

 アラスカの方角から現れ、飛行許可なしにソ連領空に躊躇(ちゅうちょ)なく入ってしまうとすれば、それは空のどこかを飛んでいる、核を搭載したB52戦略爆撃機の可能性があった。

 一九八三年現在、二千百五十基の大陸間弾道ミサイルを保有するアメリカは、その約三倍の五千六百八十基を保有するソ連の先制核攻撃を非常に恐れていた。

 ソ連が核攻撃を仕掛けてくれば、即刻報復するというのがアメリカの戦略だったが、ソ連が初めからアメリカを崩壊させるつもりで、アメリカ全域に向けて一斉に大量の弾道ミサイルを飛ばして来れば、報復可能な戦力はすべて壊滅してしまう恐れがあった。

 このような理由から、アメリカは二十四時間、常に核を搭載したB52戦略爆撃機を上空に飛行させているのであり、通常ならばこの爆撃機は、ソ連に一番近いアラスカ上空にいる。

 もちろん、この爆撃機は、ソ連の戦略地点を先制攻撃するという作戦指針も併せ持っているはずだった。

「本当にB52なら?」

 この怪物爆撃機が正式な命令を受けて飛んで来たものであれ、何かしらのミスで流れて来たものであれ、既にソ連領空を侵犯してしまった以上、その結果が想像を超える災難をもたらすことに変わりはなかった。

 「ううむ」

 まだ三十にもなっていないイートン大尉の口からは、年齢に似つかわしくない重いうめき声が漏れた。

 あの白い点が本当にB52ならば。そして、爆撃に成功したならば。いや、途中で敵のミサイルや戦闘機に撃墜されたとしても、それは核戦争ではないのか。大統領は本当に核爆撃を決心したのか。

 仮定できるシナリオはいくつかあったが、あの飛行体がまさしくB52だとすれば、いずれのケースであったとしても、第三次世界大戦突入のシグナルと見なすしかなかった

 しばらく呆然(ぼうぜん)とモニターを見つめていた彼は、はっと我に返り、ホットラインでキャンプ・デナリに呼びかけた。

 セント・マシュー島にあるキャンプ・デナリは、北太平洋全体を監視しており、ポスト・グッドウィルの上級部隊に当たる。

 「デナリ、こちらグッドウィル、飛行情報の確認を頼む」

 「どうぞ!」

 「現在、北緯56度、東経163度を飛行中の爆撃機はいるか? おそらくB52……」

 すぐに相手側から、くっくっと抑え切れない笑い声が響いてきた。
 「ハハ、退屈なのか、グッドウィル」

 「何だって?」

 「そっちこそ何のつもりだ。そこはソ連領空だってのに、わざわざB52で侵入するイカれた野郎がどこにいる?」

 「航続距離のとても長い飛行体が東から飛んで来て、今しがたソ連領空に入ったところだ。間違いない。我が軍の爆撃機か輸送機の可能性がある」

 「何の飛行情報の報告も受けていない。大型の飛行体というなら、あるいはイーグル・アイのことじゃないのか?」

 「イーグル・アイは既に帰ってきている。追加の飛行情報はないのか?」

 「ない。イーグル・アイの追加偵察はなしだ」

 「確かなのか? もう一度確認してくれ」

 「間違いない。しかし、なぜさっきからそんな戯言(たわごと)を言ってるんだ?」

 「今確かにソ連領空へ飛行して入った奴がいる。アラスカのほうから飛んで来たから、間違いなくこちら側の飛行機だ。偵察機なのか輸送機なのか、爆撃機なのかは分からないが」

 「ハハ、おい、グッドウィル。頼むから笑わせないでくれよ。そっちに飛んで行くほど頭のおかしい奴がどこにいる? 飛行許可を出すような脳みそがからっぽの将軍がどこにいる? ふざけているのか? でまかせか? それとも退屈だから騒いでいるのか?」

 飛行許可を受けた米軍機は一機もないというキャンプ・デナリの回答を受け、イートン大尉の声にわずかな震えが走った。

 許可も受けず、そしてポスト・グッドウィルはもちろんデナリにさえも飛行情報を提供していない。なおかつ、アラスカから飛んで来てソ連領空に入り込む可能性のある航空機といえば、核を搭載した戦略爆撃機B52のほかにはない。

 ということは、少し前に浮かんだ不吉なシナリオが、現実のものになるかもしれないということだった。

 突然、イートン大尉は自分の直面しているこの現実が、あたかも夢や映画の一シーンであるような錯覚を覚え、首を強く振った。しかし、間違いなく自分は現実のまっただ中にいて、はっきりと目を覚ましている。

 イートン大尉は絶叫するように声を上げた。

「ゼロサム、ゼロサムはどこだ? 位置確認を要請する」

 ゼロサムとはすなわち、核を積み、二十四時間どこかを飛んでいるB52戦略爆撃機の別名である。一旦、この核爆撃機が作戦に入ったが最後、こちらも向こうもすべてが終わり、という意味でゼロサムという名が付けられていた。

 「一体どうした? 誰なんだ? そこは本当にポスト・グッドウィルか?」

 「私はグッドウィルの基地長イートン大尉だ。極度に深刻な状況である。慎重に応答を願う」

 イートン大尉が階級を明かすと、デナリ側のふざけた雰囲気は一瞬にして消え、硬い声が返ってきた。

 「失礼いたしました、基地長。現在ゼロサムは、アラスカ上空の定位置に滞空中です」

 ゼロサムがアラスカ上空で滞空中という報告に、極度に張り詰めていた緊張はすっと解けていったが、すぐに大尉の脳裏には、さらなる疑問が浮かんだ。

〝それなら、あの飛行物体の正体は何なんだ〟

 「ほかに飛行中の爆撃機は?」

 「ありません」

 「輸送機も?」

 「ありません」

 「何でもいい。何でもいいから、こちら側の飛行情報はないのか?」

 「基地長、そこはソ連領空です。アメリカ空軍のいかなる飛行機もそちらに飛んでは行きません。まともな精神を持った者が操縦しているのなら」

 「ふむ」

 イートン大尉は安堵(あんど)と疑念が混じったうなり声を発した後、多少は落ち着きを取り戻した声色で現在の状況を伝えた。

 「米軍機であるはずはありませんが……分かりました。即刻、こちらの基地長とNORAD(ノーラッド)【※北アメリカ航空宇宙防衛司令部】に報告します」

 NORADとは、ソ連との核戦争を含む空軍作戦はもちろん、太平洋上で起きるすべての不審な軍事行動を監視し、その処理を決定する司令部である。

 ここに報告するということは、キャンプ・デナリでも怪飛行体のソ連領空侵入を極めて危険な行為と判断したことを意味していた。

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 次回(3月2日)は、「民間機」をお届けします。


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